小説を書いてみたい

小説を書いてみたくって、習作みたいなものを書いてはいるのだがいまだにどうやって書いたらいいのかわからない。
これはもう何度も何度も何度も思った。


何事も「書く」ということは、何かしらの追体験をしているということだ。経験したこと、あるいは好きな小説でも映画でも。
ところが、完全に追体験だけで書くと、マネにしかならないんだよね。
80年代、「物語はテクニックで書ける」と言いきることは、少なくとも文学の世界ではある種のアンチテーゼであったらしい。
大塚英志なんかは、いまだにその路線を続けているわけね。


そういうマニュアル的なやり方で書いてみたこともあるけど、ぜんぜんダメだった。自分も、「アイディアがひらめくときに目の前に天使が降りてくる」みたいな神秘性なんてクソクラエと思っていたので、実際的にマニュアルにのっとって書いてみたけど、ぜんぜんダメ。
これは凹むよ。
だったら、無視されたって好きなもの書いていいじゃん、ということになる。


それと、自分が好きだったものと、現実に受け入れられているものは常にタイムラグがあるということをいつも感じてきた。
子供の頃に「アストロ球団」なんかを読んで興奮して育っても、大学生の頃にはぜんぜん違う時代が来てたからね。作家ってデビューするとき、こういうタイムラグをどうするかっていつも疑問だ。
売れてから好き勝手なものを書いている人はいるけど。


もうひとつ、自分が書きたいことってひとつしかないんだよね。
憎いやつをぶっとばすという。
普通は「どうやってぶっとばすか」にアイディアを盛り込むんだろうけど、……自分でも笑っちゃうけどそこが浮かばないんだよな。


それに、見渡してみると「憎いやつをぶっとばす」だけがテーマの小説とかマンガとか映画って、思いのほか、ないんだよね。
キルビル」だって、結末は復讐とは違う方向に行ってたしさあ。


あと「賞の取り方」みたいな本を読むと確実にイヤになって、書く気がなくなる。
本によって逆のことが書いてあったりして、ものすごくイライラする。


よく「傾向を分析しろ」って言うけど、「新宿鮫」が流行った頃、急に新人賞に送られてくる作品で一匹狼の刑事ものが増えた、って作家だか編集者だかが嘆いてた。
だけど、そのときに一匹狼の刑事ものを書いた人たちって、「傾向を分析した」結果なんだよね。
その文章では、「みんなが同じようなものを書いているときには、違うジャンルで勝負しろ」みたいに書いてあったけど、それだって場合によっちゃ「空気読めてない」って思われたりする場合もあるわけでしょ。


まあとにかく、死ぬまでに10本は書いて応募してみたい。
1本書いたから、あと9本。
内容は、ぜんぶ「憎いやつをぶっとばす」という内容の小説にしたい。
いっぺん、何もひねらないで書いてみればスッキリするかもしれない。