「人権を疑え!」 宮崎哲弥:編著(2000、洋泉社新書)

たぶん、宮崎哲弥がもともとの人権懐疑論者の呉智英と組んでつくった本だと思う。
根本敬村崎百郎、あるいはゴー宣のファンなどは「人権懐疑」ということを一度は考えたことがあるんじゃないかと思うが、当然ながら一般的には「人権」に対し何の疑いもなく信じきっている学者なども多いという。そういうわけで、「人権」というものを一度疑ってみようという主旨の本だ。
こういうのは、畢竟同じ主張の繰り返しになってしまう。2000年現在では人権論の主流はポストモダニズムの後に、「人権相対主義」に移行しつつあるというアカデミズムの変化がある、というほかは、それまでの「人権懐疑」に関する本とそう内容は変わらない。


それでもまあ、こういうものは実際のものごと(少年法改正論議など)と合わせて、同じことを辛抱強く繰り返し主張するべきなのだろう。


さて、本書は何人かの人権懐疑派、もしくは反人権論者の草稿を集めて構成されているが、正直言って宮崎哲弥呉智英、それとジャーナリズムの現場からの高山文彦の原稿以外は、あまり読むに値しないと思う。
とくにひどいのが弁護士のヒト(めんどくさいから名前は出さない)の文章で、「人権を振りかざす世の中はおかしい」という長い前置きを書いておきながら、本題は「そんな『人権』も、裁判の現場ではほとんど尊重されない」ということである。
マクラと本題が逆なのだ。
さらに、どうしてもこういう反常識の文章は皮肉屋のブラックジョーク混じりのものになりがちだが、ジョークのレベルが三段階くらい低い。


そして看過できないなと思ったのは、そのマクラ部分において「日本のキリスト教徒の信仰は『伴天連大明神』に対するものとでも言うほかない」、
「子育てをしない母親がいるとして、昔は実家の母親を呼びつけて一喝すればすんだ」、「育児は旦那にその分担を要求しうる何ものかになり、旦那にも育児をさせたいという気分は、堂々と主張されるべき『人権』に昇格した。」といった放言である。
そしてこう続く。「わがままとして糾弾→病気として保護→人権というのが、例外のない人権生成のメカニズムである。」


まずキリスト教についてだが、こんなにザックリ決めつけていいのか? 文句が出ても知らないぞ。
それと、次の子育ての一文がひどい。ここで「育児を分担してほしい」ということと「それを人権だとする」こととは別だと言いたいのはわかるが、次の段落の「わがままとして糾弾云々」と続くと、まるで「奥さんが旦那に育児を分担してもらおうとすることが『わがまま』」であるかのように取れてしまう。
ここの文章、p158-159なのでヒマな人は読んでもらいたいが、この文章では「子育てを旦那に分担させることはわがまま」とは一言も書いてないのである。が、「子育てを旦那に分担させるのはわがまま」としか受け取れない、不思議な文章になっている。まあ、不思議でも何でもない。行間からそういう「気分」がにじみ出ているのである。


人権論議で、よく問題になるのがこうした「話し合いや交渉、説教などで何とかなるものを、堅苦しく『人権』と言ってしまうよそよそしさ」である。
確かに、何でも形式に当てはめてしまえば、まとまるものもまとまらなくなる。が、かといって何でも個人個人の人間関係や駆け引きに還元してしまうこともむずかしいだろう。「人権」をうち立てることで弱者や少数派が救済されているのか、それとも逆差別が起こっているのかは知らないが、少なくとも「現場レベル」では、「人権」という一見客観的、普遍的なことを持ち出さないと話もできないほど弱々しい人がいることは承知しておくべきだ。
だが、たいていの反人権論者は「そういうのは自分でやってくれ」というだけである。


前述のように、アカデミズムの世界では「人権相対主義」になっているそうだが、日々の生活においてどのように「人権をうち立てることでコトを遠そうとする」雰囲気になるかは、もう少し細かい考察が必要になるだろう。


「人権」に「気分」を紛れ込ませることはやめた方がいいが、「反人権」に「気分」を紛れ込ませるのはもっとエゲツないように思うよね。


この弁護士の文章は、裁判の現場の話になるととたんにイキイキしてくる。それは認める。
おそらく、与えられたテーマを考えあぐねたか、忙しいので文章を「やっつけて」しまったのだろう。少し検索してみたが、法律の現場系書籍では定評のある人のようだが、いくら現場に強いからってこんなくだらんマクラを書いたら品位が下がる。


ブラックジョークや皮肉というのは、センスのある人が言うからイイのであって、そういうのに憧れているだけでテケトーなことを書くとこんなにみっともないことになる、という見本みたいな文章である。


あと、この人は「職場で女性の前で猥談すること」をセクハラと認定してない。「日本のキリスト教は欧米とはまったく違っていて八百万の神のワンオブゼム」、「不登校児は拳骨くれてやるだけでよい」、「子育てを手伝わされるのがイヤだ」、と来て「猥談をセクハラに認定するのは女性のワガママ」と来れば、もう完璧にオジサンの論理である。


わがままを「人権」と言い換えて通すのもどうかと思うが、「反人権」にかこつけておじさん理論を押し通し、さらに原稿料までもらってるんだからズーズーしさでは彼が敵視する女性軍(彼が敵視する、彼の幻想上の女性軍)と、ドウデモのレベルではそう変わらないと思う。


これに懲りたらくだらんエッセイ風な書き方はやめて、法曹界の裏側バクロに徹した実際的な文章を書いてもらいたい。
本当にこの一文は、ためになるならないを別にして不愉快な文章だった。