花井美里の付け乳首2

http://d.hatena.ne.jp/Tabi/20050226#1109387356


私は基本的に、特定の出来事をもって何かが終わったとか始まったとか認定することはあまりしないです。
ポストモダンかどうかという論議にもなってきちゃうし、それは簡単にはわからないだろうという考え(昨今の「何かが終わったか始まったか」の論議は、たいていあるジャンルがポストモダン的な状況になってきているかいないかということが焦点になっていることを踏まえての話。もちろんそうでない区切り方もある)。
だから、今回の付け乳首によってグラビアが終わったかどうかはわからない。だけど、何か末期的というか、いわゆるヨモスエ感があるのは確かだなあ。
もちろん、ヨモスエだろうが末期的だろうが、それと何かが決定的にダメになっていくということはまた別問題なんだけどね。
実際、過去に「○○は終わった」って言われてるもので今でも続いているものはたくさんあるからね。


で、前にも書いたけどもともとグラビアっていうのは撮ってる人とモデルと見ている人間、ちょっと違う方向を見ていると思うんだよね。
今回の付け乳首、やってる人はオシャレだろうとか、あるいはオシャレと見せかけて実はそうではないんだとか、そういうヒネた戦略で来ていると思う。
でも、それは見ている人はぜんぜん望んでないんだよね。


そのズレが来るとこまで来ちゃったなあ、という感じはする。
それで、じゃあそういうズレを顕在化させてるからいいのかっていうと、ぜんぜんよくないの。


グラビアが、グラビア自体に自己言及する必要ってゼロだと思うんですよ。
それをやってるというかね。


そういう見方が斜めすぎるからダメと考えたときでも、「見間違えるような付け乳首」っていうのは、「乳首が映ってるかどうか」ばっかり気にしてる層も小馬鹿にしてるわけでしょ。


んだからすごい高踏的な感じがすんだよね。