世の中はノイローゼでできている

昨日の件についてじっくりいろいろと考えてみてひらめいたのだが、この世(少なくとも、現在の日本)は生きてれば自然にノイローゼになるようにできてるんですよ。
まずさあ、ノイローゼをつくってノイローゼを癒すというマッチポンプ的な商売があるでしょ。


それと、商行為でなくても、善意でもノイローゼを増幅させる場合があって、それはノイローゼを運んでくる人も気づいてないから。


ノイローゼをつくる人と癒す人がいて、さらにその関係性をバクロしようとする人も結果的に新たなるノイローゼ製造に荷担しているんですよ。
価値相対主義ニヒリズム=ノイローゼだし、
新しい価値観を想像する=「価値」を高めていくという努力=達成されない不全感=ノイローゼ
なんですよ。


もう、こう書いていること自体がノイローゼですが(笑)。


そういう世の中を泳ぎきるというのは、むずかしいもんですよ。


それを打開するためには、「バカのふりをする」というのが実に有効なのは有名な話ですが、
「バカになれ」という命令形には従わないこと。あるいは従っても完全にその相手に対してゲタを預けてはいけない。
どうせ、その「バカ」っていうのはその人基準のものでしかないからね。


もうひとつは、安易に他人の言説とかカリスマに身をゆだねないことですね。
相手がダメになったとき、自分を支えるものがなくなっちゃうから。