「にぎやかし芸人」について〜バラエティとネタ番組

ここからの続き。


またテレビについて思ったことを書きます。
実際のところ、バラエティにおけるタレントの起用の仕方や、彼らがどのような役割を担っているかは視聴者にはわかったりわからなかったりします。
「リアクション芸」が「リアクション芸」と視聴者に認められなかった時代は、それはやっている方の「腕」ではなくて、罰ゲームそのものを楽しんでいたわけでしょ。


一方で、ネタ番組の方は視聴者も「ネタ評価」みたいな方向に言っていると思うんですよね。


この関係は、「プロレス」と「格闘技」の関係性にたとえられると思う。
プロレスで表される「強さ」って抽象的なもので、計測不可能なものでしょう。
「バラエティにおけるにぎやかし芸人の力量」って、そういうプロレス的なものだと思う。


一方で、現状でのネタ番組ブームというのは、視聴者が審査員になったつもりで、かなりタイトに評価しているわけですよね。
いわば計測可能だという前提に立っていて。
私はそういう視聴者の視点変化の最大の理由は、「M-1」の盛り上がりだと思っているんだけど。


POISON GIRL BANDに対して審査員の小朝が「テンポが1秒早かったですね」みたいなことを言った、それに視聴者は衝撃を受けたじゃないですか。
そこまで細かくきざんで評価可能なんだ、ということをあの番組は示したと思います。


で、どっちもテレビでは必要だと思ってます。
視聴者側にしてみれば、どっちも見たいんですよ。
バラエティ的な力量、あるいはプロレスで「華」を出していくって、憧れもあるけど視聴者にとってはイヤなものでもあると思う。
私なんかは、まさに日常そのものという気もするんですよね。
大勢の中で会話に入れないとか、自分を出せないって、サラリーマン生活でも合コンでも、みんなわりとあるんじゃないですか。
あるいは、「なぜか認められる」とか「なぜか目立たない」なんてことも実際にあるしね。


そんな中から、「計測可能な力量を認知する欲望」って出てきた気がします。


本来なら、計測可能な力量というのはさまざまな条件の重なり合った、計測不可能な状況の中での能力のひとつに過ぎないことはみんなわかってるんですよね。
でも「この分野ならだれにも負けない」というようなものが、みんなあるし、あるいはそういう特化したものを見てみたいという欲望もある。


それが私はプロレス→総合格闘技であるとか、ネタ番組ブームの注目のされ方だと思ってますね。
まあ、総合の方は最近はよくわからないんだけど、夢枕爆の視点にだけかぎるとまさにそういうことだと思います。