オレンジレンジとハレンチ☆パンチ第2部

前述のように自分がおっさん化した現在、やっぱり先人が考えたように、自分も昔語りをするのが役割かなあと思い始めてます。
常におっさんの昔語りは若者にとっていちじるしくうっとおしいですが、うっとおしくてもそういう役割なんだから仕方がない。
自転車置き場の整理の人がうっとおしいと思うときがあっても、いなくちゃならないのと同じです。


で、パクリ、パロディにおける論争は過去にもいくつかあって、マッド・アマノ裁判とかがありますが、
世代間断絶的なものと言えばコミケなどで売られているいわゆる「アニパロ」に関するものでしょう。


それが出始めたのがだいたい70年代後半から80年代くらい、量的には聖矢、キャプ翼ネタで盛り上がる80年代後半くらいに爆発的に増えます。
アニパロが当時、嫌われていた理由としては「批判精神がない」とはよく言われてましたね。
要するに風刺がないと。
でも、単なるもじりでも「笑い」は出てくるんですが、「笑い」もないパロディ(っていうか、もうこうなってくるとパロディ本来の意味とは違ってきてる)になってきてて、
「笑いがないパロディ」という意味で「や・お・い」って最初使われてたと思うんですよね。後に意味が違ってくるけど。


この頃の「もじり」って、笑いはないけど後のサンプリングとかカットアップとかいうのとも違う。
まあ何が言いたいかというと、80年代初頭の段階ですでに「もじり」において世代間断絶みたいのがあったということです。


そして、オレンジレンジが出てきてからそこら辺の感覚がもう一段違ってきているな、という感じはする。
いい悪いは別にして。
ここで何かうまいことを強引に言うとすると(笑)、
こういう「オレンジレンジ」的な断絶って、
「0930(オクサマ)」が出てきた段階ですでに起こっていたのではないかと。


あれってパフィーあたりから始まってキロロとか花花とかに連なる「自然体」路線の究極だったでしょ。
けっきょく、さすがに受け入れられなかったわけだけど、なんか恥も外聞もなさが、平気で地口のネーミングしちゃう感覚に近いなあ、と感じる。


好きな人には悪いが、「0930(オクサマ)」って歌もそんなにうまくなかったわけだから。
キロロとかは、まあヒドい言い方をすると「なんだ、ブサイクだけど楽曲はいいじゃん」みたいな芯になるものがあったんだけど、そういうものさえ取り去ってハイパー化したらどうなるかということだから。


オクサマがいた頃は、ブームにありがちなやりすぎユニットかと思ったけど、
送り手があれを平気で出してくるというのは、もしかしたらすでに何らかのパラダイム変換が起こっていたのかも知れず。


ハレンチ☆パンチはさあ、いいじゃんいちおうかわいい女の子たちだから。


たぶん次に出てくるのは、「ブサイクでこむずかしいことばっかり言って、なおかつ楽曲はオレンジレンジで、さらにおニャン子みたいに大人数」っていうグループだと思います。
写真集も出すねきっと。