小学校時代の教員たち、ウンコ食わせたいなあ

私、「あのときは厳しくしてもらったけど今は感謝してます」って人から思ったことってまったくなくて、「1回は1回」だと思ってるんで、万が一チャンスがあったらイヤなことを言ってきた人を東尋坊からはたき落とす準備はいつでもできてます。


小学校時代の教員たちはクズみたいなやつらばっかりで、でも私も素直だから「反抗しよう」とか思わなかった。
その後、中学に入って校内暴力の嵐が吹き荒れた。しかし、皮肉なことに暴力の矢面に立たされたのは熱心な教師、若い教師ばかりで、本気でムカつく先生というのはなぜかツッパリも避けて通るのね。
「関わったら性根が腐る」って、不良もわかってたんじゃないかな。


だからといって、自分が「金八先生」みたいな教師を待望したわけではまったくない。
人生の中で「管理教育的」という意味で管理される時期も必要だろうし、他人の設定した不条理や非合理に耐えることも必要だと言わざるを得ない(まあ、この辺は現場レベルでいろいろとむずかしい話があるんだろうけど)。


しかし、最近の議論で不毛なのは「人権派VS管理派」という二元論から一歩も出ていないということ。
これがもうハタから見ていてくだらなくてくだらなくてしょうがない。
そもそもがねじれ現象というか二重の問題があって、
ド田舎の学校なんかはムラ社会的な閉塞とあいまって過剰な管理教育が問題になっているように感じるし、
都心部では「人権派」の過剰さが目立っているように感じる。
ここら辺は、慎重に腑分けされなければならない問題なのだ。


要するに、管理そのものが悪いのではない。その内容が検討されなければならないということ。
でもまあ、少なくとも言論レベルではそこまで行っていないのが現状だろうね。


繰り返しになるけど「金八VSそれ以外」っていう図式が、まずダサいと思うんですよ。
「反金八的」なアンチテーゼにいちいち感心するというのは、とことん世の中が病んでる証拠だと思いますよ。だってそれが昔はむしろ正論だった部分もあるわけだし。
まあ、じゃあビョーキにしたのはだれかという問題もあるんだけど、それだって一筋縄では行かない問題じゃないですか。
ぜんぶ日教組のせいにするのもどうかと思うしね。


でもねえ、まあ自分があらゆる意味で教育現場にいるわけではないので責任持てないというのもあるけど、とにかく議論のレベルが低すぎて参画する気になれない。
こうしてダラダラ書いてることによって、どっかの地雷を踏むんじゃないかということも考えてしまうし。


amazonで検索してみると、河上亮一の「ザ・中学教師」ってもう普通の書店では手に入らないんだね。
まあ、私も実はきちんと読んだことはないんだけど、週刊誌などで断続的に書かれたこの人の教育論というのは、非常に理にかなったものでしたよ。
要するに「ミもフタもないところからどうやって学校をまわしていくか」みたいな話なんですよ。


でも、この人の提唱していることがすでに80年代後半から(現場ではわからんけど、少なくとも言論レベルでは)そうとうに強烈なアンチテーゼになっている部分があって、
ここら辺に関しては15年近く経った現在でも変わっていない、というのがある。
なんかもう、そういう現状にイライライライライライラ……って、ずっと思ってる。


読んでないけど現状で入手しやすい本なのでリンクしておきます。


「学校崩壊」河上亮一
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794208677/funukekyowako-22


そうそう、でも「ザ・中学教師」は映画にもなっているんだけど、未見。こういう教師像が果たしてハタで見ていて面白いかどうかという問題があって、まあ予想だけ書いてしまうのは非常に申し訳ないがたぶん面白くはないんじゃないかと。でも、私はつまらなくてもいいと思うんだよね。極端な話。
つまらなさにこそ真実がある気はする。
今は「教師」という職業に過剰に期待がかかりすぎていて、そんなオモシロ教師を創造する時期じゃないだろ、っていう状況がここ20年くらい続いているという気はしますね。


面白くなりすぎたら、それはそれでまた別の極端に走っていくわけでね。


まあ、いまだに「金八」が続いていることと呼応する問題なのだろうと思うけど。