所得格差がつきすぎるのは大問題

ちょっとインスパイア(言葉本来の意味で)されたブログの記事があったんだけど、直接は関係ないので独立させて書くことにする。
格差社会の可能性は、個人的には大問題だと思ってる。
若い人はそれに気づいてないだけ。


まず、表面上、所得による「サベツはない」ってことになってるでしょ。
80年代の「一億総中流」意識以来、そうなってる。
厳密に言えばあるんだろうけど、とにかく表面上はないことになっている。
理由はいろいろあるが、バブル崩壊までは、所得のある者もない者も、みんな上を見て生きていられたからというのが大きい。
「子供の頃、貧乏であったことを嘆く」というのは、80年代までは「でも今はそうでもない」というのが大前提になっていた。
80年代まで子供の頃貧乏だった人たち、具体的に言えば85年に30歳だったらその20年前の、10歳の頃は65年。
1965年というと、高度成長を成し遂げたはいいが、まあまあ、貧しい人がたくさんいた時代。
要するに、この頃の「貧乏」というのは、「親や兄弟が高度成長期に乗れない不器用もの」というニュアンスが強い。
ある程度成功した人でもどこかで「ワリを食った」と考えるものだから、それは日本人全体の感覚であったと言ってもいいと思う。
もちろん他にもいろいろな要素はあるだろうが、ものすごくおおざっぱに行って、そういうこと。


これからは違ってくる。
可能性としては、「親も貧乏で子供も貧乏」という悪循環から「そういう階級」ができてしまう。
親に食わせてもらっている「ニート」と言われる人たちもやがてこの階層に参入してくると、もっと増える。
「表面上、サベツはないことになっている」のはいい面もあるかもしれないけど、所得格差というのは目に見えてどうしようもないものだから、お手手つないで同じ生き方をしましょうといってもぜったいむずかしくなってくる。


だから、初代の貧乏人たちはわりと平気でも、代を重ねるごとに深刻化してくると思う。
「貧乏でもいいじゃないか」とか「お金だけで幸せになれるわけじゃない」というのは認める。
だけど、現状若い世代から「一生でどれくらいの賃金が稼げて、そのためにどれだけのことができる、そのうえでどういう生き方をしていくか」というのが具体的に出てきているわけじゃない。


まあ現実に金がないなら、金がない生き方をするよりほかどうしようもないんだろうけど、何となく意識はまだ「中流」のような気がする。
親の代の中流幻想から脱してない気がするんだよな。
どうするんだろう。とても「貧乏」のリスクを背負って生きていけるほどのポリシーがあるとは思えない。


これから「最低」が見えてくるっていうことなのかね。
とにかく、「がんばれば何とかなる」というのと「がんばっても、どうにもならない」っていうのは意識のうえでぜんっぜん違うからね。


具体的には日本全体が、将来的にアメリカ映画とかに出てくる暴力とドラッグの町に成り果てるような気がするけど。
いや、杞憂ならいいけど。