欽ちゃんVSさんま

(参考)
今の欽ちゃんはグロい ('05年10月05日)(テレビの親知らず)


本当は確証がつかめなかったので書かなかったのだが、「不確定」と明言したうえでやっぱり書くことにする。
今月の4日か5日に放送された「さんまのまんまスペシャル」のゲストの一人が、欽ちゃんだった。
私は、さんまは普通に好きだが「さんまのまんま」を欠かさず見ているというわけではないほどのファン。
だが、今回は録画して見た。


なぜかというと、さんまと欽ちゃんが共演するのは「欽ドン!」の最終回で、さんまが欽ちゃんに呼ばれて以来だからだ。
この「最終回」がどうもはっきりしないこともテキストを書くことをためらわせた理由だが、
wikipediaの「欽ドン!」の項を見ると、欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子が85年の3月時点で終了しており、
私がテレビをボーッと見ていて、あきらかに欽ちゃんの凋落を感じたのが86年から始まった欽ドン!お友達テレビだったので、84〜86年のどこかの時点の最終回で、さんまは欽ちゃんとコントで共演しているはずである。


で、以下は当時、リアルタイムでテレビを見ていた私の率直な感想である。
テレビにありがちな出来レースであった可能性も大いにあることを、明記しておく。


確か「良い子悪い子普通の子」に、さんまが登場するというシチュエーションだった。
欽ちゃんは当時、ハプニング的な演出というか、「とりあえずやらせてみることによって生じるおぼつかなさ」で笑いをとるという方法をとっていた。
欽ちゃんファミリー」と言われていたほとんどの人たちが、少なくとも表面上は「何となくおぼつかない雰囲気」を持っていたのはそれが理由であり、それが「方法」として小堺一機などによってタネあかしされたことは、間接的に「テレビ芸人」としての欽ちゃんの寿命を縮めてしまったのではないかとも考えるが、それはまた別の話。


確か欽ちゃんは反省会が長いとか稽古が長いとか、当時から言われていたと思う。
視聴者は出演者の「素人臭さ」に笑っていたわけだが、そうしたハプニング性を演出するために綿密な計算があったことは(後から考えると)容易に想像できる。


しかし、最終回に出たさんまはまったく欽ちゃんの計算に従っていないように感じられた。


しかもそれが面白いのである。爆笑をとっていた記憶がある。
反面、欽ちゃんは今まで見たこともないくらいキレていたように感じられた(少なくとも、私にはそう見えた)。


それでだ。まだこれも私の捏造記憶かもしれないのだが、
ラジオでさんまが欽ちゃんの番組に出たことに触れ、
「台本どおりにやらなかったことについて欽ちゃんが激怒していたと後から聞いた」的なことを言っていた。
まあ、確証がなく、本当に記憶にすぎないわけだが……。


しかし、「欽ちゃんがさんまを番組に呼んで共演する」ということが、80年代半ばのテレビのお笑い世代交代をあまりにも象徴する出来事であり、その後本当に世代交代してしまったので、捏造であるかもしれないが記憶には残っていたのである。


まあ、そんなことがあっての、欽ちゃんの「さんまのまんま」出演。
果たして二人は「欽ドン!」について触れるのだろうか……?


そう思って見た。結果から言うと、「欽ドン!」について触れた。
結論はこうだった。


欽ちゃんは「さんまは台本がない方がいいな、と思って、台本を用意していなかった」と。
さんまも「言ってみたら台本がないことに驚いた」と言っていた。


もしそれが本当だったら、当時の「欽ドン!」の展開はすべて制作者サイドの思惑どおり、ということになるが、
なんかなあ……本当にそうだったのかな? という疑問がぬぐえない。


そもそもが、二人ともお互いをリスペクトしているようなことを言っていたが、
「本当にそうなのかあ?」と思ってしまった。


とにかく、この二人は徹底的に「手が合わない」と思う。
二人とも、「相手をいじる」という方法を確立しているから。
それと、欽ちゃんが「いじられたくない」ことにかたくななことも原因だと思う。


ここからは欽ちゃんの話になるが、
欽ちゃんは「タイショウ」という異名を持っていると、世間に知られた段階でもう凋落の兆しはあった。
今はどうか知らないが、80年代前半の欽ちゃんというのは「善人」の象徴のような存在であった。
コント55号」ではイジワルな役回りも多かったと思うが、とにかくピンでやり出してからは、欽ちゃんの「いい人オーラ」はものすごいものがあった。
「必ずしも、台本どおりやらない笑い」(ネタが主眼ではない)という意味では、80年代前半の「ひょうきん族」と欽ちゃんの隆盛の理由は近いものがあるのだが、
同時に「本音の時代」でもあった。
ひょうきん族」は「本音の時代」に実にうまく対応していったように思うが、欽ちゃんは「いい人キャラ」を強固につくりすぎたために、後戻りできなくなってしまったように思う。


本当は「タイショウ」と呼ばれていること(「欽ちゃん」という親しみ深い呼称とはかなりギャップがあった)、
反省会がやたら長い、下戸であるため、スタッフは交流を深めるにはトランプの七並べをやらされる(といった都市伝説っていうかこれは欽ちゃん自身がネタとして言っていたんだけど)、
それと大きかったのは、ニャンニャン事件を起こした番組レギュラーの高部知子をあっさりクビにしたこと。


「タレントの不祥事」という点では、今考えるとやむなき処置なのだが、とにかく善人の象徴だったもんだから、ことさらに残酷に見えてしまったのである。


80年代後半の数年は、やる番組やる番組すべて滑ってしまい、欽ちゃんを見ていて実に辛かった。
「タイショウ」イメージが定着していた欽ちゃんが唯一ゴールデンで生き残る道は、
個人的には「若手からいじられること」ではないかとは思っていたのだが、それは欽ちゃん自身が良しとしなかったように思う(その雰囲気は、この間の「さんまのまんま」でも出ていたように感じる)。
86年度上半期にやっていた「欽ドンお友達テレビ」にはその兆しがあった(でも半年で終わった)。


私が「こりゃ本当にヤバいんだな」と思ったのは、86年下半期の「ドキド欽ちゃんスピリッツ」というバラエティ番組で、
これもネットで調べたら半年で終わってた。
でも、決してつまらなくはなかったと思う(番組終盤では関根勤がいちばん目立っていた)。時代とズレたのだとしかいいようがない。


その後、勝俣含む「チャチャ」を地味にブレイクさせたりして、90年代に入ってお年寄り対象の「悠々くらぶ」にいちおうの着地点を見いだし、94年には「よっ!大将みっけ」という「タイショウ」という呼称をタイトルに積極的に取り入れた番組もやってはいるが、少なくとも「お茶の間」の中心ではなくなっていた。


「タイショウ」の変人イメージは、欽ちゃんがゴールデンタイムからも、夕方の帯番組からも後退してからずーっと、「ごきげんよう」で小堺一機が言及し続けて、しかも「人が悪そうなタイショウのまね」が妙にうまいもんだから(笑)、あれって別におとしめるつもりはなかったんだろうけど、地味〜に「欽ちゃんのイメージ」を変えていったような気がする。


「変人」、「人が悪そう」、「ひねくれ者」といった、他の芸人なら「ありがちエピソード」で済むところが、いちいち欽ちゃんのマイナスイメージになっていったのは私は痛いと思ったし、
それが「さんまのまんま」で飯島直子が言っていた、「欽ちゃんって毎日金魚を殺してるって、本当ですか?」みたいな都市伝説風ギャグにつながっていると思う。


しかし、「欽ちゃん的方法」は「欽ちゃんファミリー」と言われてきた人々によって今でもすごく生きていると思う。「リンカーン」にキャイーンが入っていると、吉本など大阪中心で雰囲気ができあがっている(と私には思える)中でどこかホッとするのは、彼らが欽ちゃんの遺伝子を継いでいるからだと思います。


そんな中、欽ちゃんだけが今でも微妙な位置にいるのが、不思議でもあり、また当然でもあると思ったりするのであった。