新訳ロリータ
ナボコフの「ロリータ」の新訳が出たということです。
- 作者: ウラジーミルナボコフ,Vladimir Nabokov,若島正
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/11
- メディア: 単行本
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「ロリータがギャル語でしゃべる」ということで興味をひかれたのだが、本質的な改変としてはナボコフの言葉遊びというか、なんかそういうものがチャレンジングに訳されているということらしい。
実際、もとの「ロリータ」は、解説を読んでもその言語センスなどが今ひとつ理解できない部分が多かった。また、ナボコフが語られるときの「ナボコフは『ロリータ』のみで知られていて誤解されている」的な話も今ひとつ理解できなかったのだけど、新訳を読めば少しはわかるかもしれない。
しかしここでまたダーク入るのだが、ジェイムズ・ジョイスと並び称されるというナボコフ、しょせん原書を一度でもひもといた人間でなければ訳を読んでも良さはわからないのではないか?
あまりにも言葉遊びや複雑な符丁を使った海外作品は、翻訳の段階でまるで「大喜利」みたいな日本語でのあてはめを要求される。
当然なされている議論だろうと思うけど、基本的な問題として、たとえば英語で何かをひっかけたダジャレが存在し、それをうまい具合に日本語同士のダジャレに翻訳したとしても、それはまったく別のものなんじゃないか?
まあやらないよりはマシだと思うけど。
参考:
先見日記 いとうせいこう
ところで、過去の話をムシ返すようだが(みんな忘れてると思うけど)みうらじゅんが「自分はロリコンになりかけた」とカミングアウトしており、それはヴァネッサ・パラディのかわいさに惹かれたかららしい。
そりゃ言葉本来の意味の「ロリータ・コンプレックス」で、日本のオタク系ロリコンとはまったく別でしょう。
なんつーか、「洋モノロリコン」っていうのは(本当にそういうのが好きならそれでいいけど)、昔はどこかに教養スノビズム的な要素があったとか、今さら説明しなくちゃならないのか。
みうらじゅんがオタク系ロリコンを許せないと思っているのは、ある一時期(ミヤザキ事件の余韻が残っていた頃)までは本当のことでしょうよ。
でだ、何が言いたいかというとナボコフを言語センスの観点から語り直すなんて、今からじゃもうムリなんじゃないかとすら思う。なぜかというと、前述のとおり原書にあたれる人間なんて日本に1000人くらいしかいないだろうし、どのような悪い訳であれ、「ロリータ」という小説の面白さはあまり変わらないからである。
ロリータという小説は通俗小説としても滅法面白い。谷崎の「痴人の愛」みたいな美学がぜんぜんないのである。
赤裸々に肉欲。主人公ハンバートがロリコンになってしまったのも、12、3歳の頃好きになった女の子と外でセックスしようとして邪魔されたとかうまくいかなかったとかいうストレートな理由だったと思う。
ハンバートも、「普通に女にモテる」という設定で描かれていて、まあ単なるビョーキの人なんだよ。
ビョーキの人が自分の性癖におぼれて破滅するというだけの話っちゃあ話で、その情けなさ、身勝手な欲望(ロリータと結婚するのはイヤだが娘ができれば近親相姦できるんじゃないか? とか本気で考える)、そしてロリータをかっさらうライバルの登場など、本気ともギャグともつかない展開の連続でけっこう笑えるのだ。
数年前に映画化されたやつはその辺をよく表していた。
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- 発売日: 2004/01/21
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なお、キューブリック版は見てない。あの監督の映画、タルいんだもの。
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