過去ログサルベージ

http://d.hatena.ne.jp/nittagoro/20050322#p1


http://d.hatena.ne.jp/nittagoro/20050324#p1


ああ、当時も「新左翼」って言葉を私は使ってますね。
おんなじことの繰り返しになると思うけど、要するにサブカルチャーってメインカルチャーに対するアンチだったわけだから、60〜70年代くらいまでは背後にヒダリっぽい考えの社会変革思想みたいのがあった、ということが言いたかった。
逆に言えば「学校はちゃんと卒業した方がいい」とか「マジメに働くべき」とか、そういう親や先生のお説教みたいなことは、サブカルチャー的な文脈の中で語られるってことはまずなかったわけで。
今はそうじゃないでしょ。たとえば「働いたら負けかなって思ってる」っていうフレーズを、「いくらなんでもそりゃないだろ」ってみんな思ってて、実際にサブカル的な文脈で批判的に語られたりする。


80年代には「別冊宝島」とか、「宝島30」は90年代入ってからだっけ? 忘れたけど、あの辺の主張というのはそれまでのサブカルチャーへの反論を提示していくというスタイルだった。
呉智英の主張が、ギリギリまで保守派の評論家に接近しながら、新左翼批判というかたちで80年代当時、宝島のあたりへんで展開されていたのも、「おたくの本」が編集されたのも、その辺のことと関係している(要するに心情左翼みたいな人たちに対して反論を唱え、発展的に全共闘世代の考えを見直してみようというある意味内向きなスタンス)。


で、90年代に入ってヒダリっぽい言説がどんどん説得力を失っていって、その流れで「サブカルチャー」から政治的というか思想的な意味合いが薄められた「サブカル」が出てくる。


でも個人的にはサブカルの屋台骨って政治的というか思想的な部分にあると思うから、このままだとどんどんジリ貧になっていくばかりだ。
(でも、こういう私の予想に反して、たとえば十代の女の子とかでファッションとして「サブカル的なもの」を接種する層がいまだにあるかもしれない、という仮定がある。)


あと昔の自分の書いたテキスト読んで思い出したけど、若い人の「サブカル」に対する反発心がすごいわかって、ビビってやる気なくして続きを書くのをやめたんだっけ。