逆転現象

しりあがり寿このエッセイなんかは、ここ30年くらいで広義のサブカルチャーが変わったことの証左でないかと思う。
ここで言われているのは、受験戦争や学歴社会肯定ということだけど、
しりあがり寿のような、一時期サブカルの権化のように言われている人がこういう発言をすることは、30年くらい前にはほぼ無かったのではないか。
(ちなみに、私個人はこのコラムとほぼ同意見です。)


たいてい、「学歴なんか必要ない」みたいなこと言ってたよねサブカル的土壌では。東大出てる人とかでも。
それは、30年前の1976年の段階ではまだまだ世の中が混沌としてて無学歴で成り上がった人とかも多かったし、逆に学校行きたくても行けない人たちがいたから、っていうこともあるんだけど。


現状のしりあがり寿の存在がサブカル的かという問題もあるんだろうが、ザックリ言えばそういうことです。


あと、忘れてたけどメイン/カウンター、メイン/サブの関係が現状では曖昧になっていることは確か。
たとえば上記コラムみたいに、教科書にマンガを入れるとか、昔は考えられなかったわけで。
だからメインカルチャーが曖昧になっているのと同時に、サブカルチャーも曖昧になってる。
あるいは、ときには昔と比べて逆転する。


(本当かどうか知らないけど)学校で運動会において順位を付けない、とかやるとすると、それは公教育だったらメインカルチャーということになるけど、
サブカル雑誌で「運動会で順位を付けるのは当然。だからやめるな」っていう意見が載ったりする。
これはもう、完全な逆転現象ですね。


昔は良くも悪くも管理社会化とか個性抑圧というのは悪で、その逆は善ということになってたけど、
今はそうでもなくなってきてるから。
いつ頃からそうなったかというと、やっぱり70年代半ばからなんだよね。