かとくたい

http://d.hatena.ne.jp/TheMan/20060604/ultra


メビウス」において、「科特隊は要るのか」問題に関しては、まあそうおっしゃらずに……(^^;)という感じです。


ウルトラマン」の基本フォーマットというのは、私個人は幼稚園児の頃からヘンだヘンだと思ってまして、
科特隊はもともと怪獣退治専門の団体じゃないにしても、歴代のウルトラ警備隊系団体って、団体だけで怪獣を倒したことってたぶんほとんどないでしょう。
そうすると、「果たして本気で怪獣を倒そうとして作戦を立てているのか?」と思っちゃうわけですよ。
これがもう小さい頃から疑問で疑問で……。


帰ってきたウルトラマン」をなぜか今頃見返しているんですが、郷秀樹が「ピンチにならないと変身できない」という設定にしたのは、
「どうせウルトラマンが出てきてやっつけてくれるなら、MATは必要ないじゃん」という、作中のMATや視聴者の疑念を緩和するための設定だということに、今頃(30年くらい経って!)気づきました。
しかし、そうは言っても、「新マン」内でそのフォーマットが崩される(郷が自分の意志で変身するシーンがだんだん出てくる)んですけどね。


だからMAT限定で言えば、1回でもMAT単体で怪獣を倒すエピソードがあれば、「新マン」の世界ってグンっとリアリティや緊張感が増すんですよ本当は。
だけど、たった1回でもウルトラマン抜きのエピソードってつくれませんからね(ウルトラマンをサポートするような話は、あったような気がするけど……)。


さまざまな過去作品の影響が見られる「エヴァ」は、たぶん監督が「新マン」大好きなんだなという雰囲気が出てますが、「エヴァ」そのものがネルフの作戦に組み込まれてますからね(わー、「ネルフ」って単語、5年ぶりくらいに書いたな)、その設定上のスマートさはやはり、「新マン」よりも上のように感じてしまうんです。


だから(「だから」でつなげていいのか?)、「ウルトラマンシリーズにおいて、ウルトラ警備隊的な存在は必要なのか」は、ウルトラシリーズの根幹に関わる問題なんですよ。
もちろん、その基本設定のいびつさがシリーズに幅を持たせているとも言えるでしょうね。


なお、記憶だけで書いてますがアニメ「マジンガーZ」では、「マジンガー修理中に機械獣が現れて、それを他の兵器を使って光子力研究所のみんなで撃退する」というエピソードが1回ありまして、
子供心に「マジンガーの出ないマジンガーのアニメ」を見てガッカリした覚えがあります。
しかも、別に設定全体に貢献している内容でもなかったですしね。