ついていけてるかいけてないか、いけていると思い込むか

すこやか日記経由、リリカル備忘録

 小林治さんのコラムでハルヒが取り上げられていたのだわ。そんなに昔好きだった子に似てるからみたいな嵌り方ってあるのかしらね。結局のところ、自分たちの青春時代に観たものが最高で、それと似たものが若者にも支持されてるとか思うことで「まだボクらオタクは繋がれてる」とか思いたいのかしらとかまで考えたのは、多分きっと暑さのせいなのだわ。勿論言わんとしてることも理解できるし、懐かしさ含みでの愛情であるのもわかるけれど、フォーマットのみを愛してますと自称されてるような気がしないでもないかしら。
http://d.hatena.ne.jp/nakedhisami/20060807


私はたぶん小林治より若干年下だとは思うが、まあ若者ではない。
で、そのコラムを読んでないまま書くのもどうかと思いつつ書くが、私は「ハルヒ」に関しては正反対、「ああ、とうとう自分がついていけないものが出て来ちゃったなあ、こりゃオタクのパラダイム変換だ」と思ったのであった。
(ちなみに「ハルヒの憂鬱」しか読んでませんが)


正直、ハルヒみたいなキャラクターが主人公で、なおかつ大人気のマンガやアニメや小説なんて、80年代から90年代初頭くらいまで見たことも聞いたこともないですよ。
あるいは、私が脳内のメモリから無意識に消去してて、小林治は逆に保持し続けていたということなんでしょう。


しかし、やはりハルヒパラダイム変換だと思う。
というのは、

自分たちの青春時代に観たものが最高で、それと似たものが若者にも支持されてるとか思うことで「まだボクらオタクは繋がれてる」とか思いたいのかしら


というリリカル備忘録さんのような感想は、他のジャンルはともかくオタクの間ではある時期まで(「エヴァ」くらいまでか?)は無かったものなんですよね。
他のジャンルにはあったけど。文学とか音楽とかね。
(90年代初頭くらいまでは、全共闘世代がマルクス主義のうっすらかかった考え方でその後の若者文化を語るというトンチンカンがずいぶん行われていた。それを揶揄したのが小説「ノーライフキング」に出てくるジャーナリストかなんかのキャラクター。しかし今考えると、やや意地悪にそういうキャラクターを出したいとうせいこう団塊の世代の対立自体が懐かしく思えるけど。)


でまあ「自分たちの青春時代に観たものが最高だと感じ、現行の作品にもついそれに似たものを探してしまう」というのは年を取るとよくあることです。小林治がそうかは知らないけどね。


それに関して思うことは2点、
・下の世代からそう言われちゃうから、年寄りは新しい作品を素直に認めなくなる。ま、下の世代からすると上が認めようがどうしようが知ったことじゃないと思いますけどね。ただ、おっさんからすると「自分の青春時代の作品に似ている、近い」という観点で新しい作品を評価するイタさと、「そういうヘタをうって若手から非難されたくないから、新しい作品を認めない」というイタさはけっきょく同じなんだよね。


・新しい作品に関して感想を書くことの、トシをとってからのむずかしさ


ただ「過去のこれこれの作品に似てる」というアプローチでも、たぶんぜったい何かは書けると思うんですよ。だって過去があって現在があるからね。問題はそれと自分語りを結びつけてしまうことなんだろうかな。