目指しているのではなく、結果論なのかな吉本2

ここの続き。
70年代のお笑い番組は、基本的には「寄席」をいかにテレビで放映するかというコンセプトの場合が多かった。
(「ゲバゲバ90分」みたいのもありましたが。)
まず寄席ありきだったと思うんですね。
ドリフも欽ちゃんも、収録に客入れてたしね。


それがいつの間にか「テレビ」という、何かヴァーチャル空間のようなものが生まれて、寄席=現場、という基盤をテレビでどうするか、というコンセプトはじょじょにどこかへ行ってしまった。
(テレビのお笑い番組においては「ひょうきん族」がその始めかもしれないし、それ以外にも消えていった無数のバラエティ番組がある。そっちの方が重要かもしれない。)


で、そのヴァーチャル空間でどう生きるか、っていうのを考えることがお笑い芸人がテレビタレントとして生き残れるか、ということだった。


それが、いい方向に行けば今後またちょっと違ってくるのではないか? という希望的観測をちょっと示してみたんですけども。
そりゃ勝ち組、負け組ってシビアに分けたら、テレビ的に自分を研ぎ澄ましていった芸人がぜったい勝ちますよ。
でも、それだけじゃない価値観になるんじゃないか、なれればいいなあ、と、私が思うということなんですけどね。