「同調圧力」問題2

それともうひとつは、世代的なものがあるのだ。


下のテキストの続き(下から読んでね)。


なんかものわかりの良さそうな親や教師が言いそうな「個性を大事に」とか「個性を豊かに」という文脈における「個性」が容認されたのはいつか、というと、
私の乏しい知識では60年代後半からということになる。
広義のヒッピー文化というか60年代文化と結びついていたと思う。
80年代に入ってからもあいかわらず「個性尊重」という概念は強固に生きていたけど、
それと同時にその反動も出てくる。
「個性というのはだれにでもあるもんではない」とか、「社会的に使える個性というのは少ない」とか言ったふうに言われていて、
山本夏彦大好きっコとかはこの論調を支持するし、
今は右とか左とか単純に分けられないけど、でも「個性尊重」というお気楽スローガンに対するカウンターとしては右にも左にもある程度定着した感はある。


で、60年代後半から90年代始めまでっていうのは、私の印象からするとこのカウンター思想がうまく機能していなくて、
あまりにも楽観的な個性尊重主義をふりかざす人たちに、そろそろみんながうんざりし始めていた頃だった。


むしろ凡庸な自称変人や、
「霊が見える」とかとつぜん言い出すつまんないやつ、
夢ばっかり語ってるだけでいっこうに動こうとしないやつ、
などが頻出した。


それが時代の過渡期だったのか、違うのかは他の人の判断にゆだねるとして、


そういう人たちに対するウンザリ感を持った人たちの中には、「同調圧力」を仕方ないことであるとか、コミニュティ維持のために必要な圧力として認めている人は多いと思う。


個人的経験で80年代後半、いちばんビックリしたのは、
某サークルの某会誌で、文章を募集し、
「てにをは」が間違っていたので「直せ」と言ったら、
「これでいいんです!」ってつっぱねられたことがある。
ニュアンスとしては、彼の無知というよりも、「ただやりたいようにやりたい」という気分的なものを感じた。


それと、マンガ研究会で女の子が10人くらいいっぺんに入部して「漫研内のルールに従いたくない」ということで全員抜けてしまったこともあった(ここは私もウザくなってやめてしまった)。


いや別に集団で抜けてもいいとは思うんだけど、彼女たちがキレた理由というのが、なんかコンパの出欠が厳しいとか持ち回りで部室の掃除をするとか、なんかその程度のことだったんですよ。


また「同調圧力」の問題と話がズレてきたけど、
ただ「個性」の問題において、「個性というのは育てて育つもんじゃない」という人の論調は、ひとまず正論ではあるけれども、
「じゃどの程度、律していったらいいのか」という程度問題に関しては何も言及してないということはあるね。
どんな人間集団でもアウシュビッツの収容所みたいにしていいかということでね。
「個性」の問題というのは、常に、人を統括する側の実に都合のいい言葉にすぎなかったり(たまに4月あたりの新聞で、大企業の社長とか会長が「型破りな人材を求む」みたいなこと言ってるけど、じゃあオマエにウンコ投げつていいのかよ! 型破りだろ!!)、
あるいは、逆に締め付けを受ける側の「世間の泳ぎ方」にすぎなかったりするわけです。


まあ当たり前の話になるんだが、特定のコミニュティを維持させるのに何が必要か、またそのコミニュティを維持させることそのものが必要かどうか、という問題なんですね、って当たり前か。


しかしですね、
この話にはまだ続きがあって、
それはコミケとかオタクの話になるのだった。


続くかもしれない。