「エンタ」かあ……。

エンタの何様たいしょうの『言り独』
ことあるごとにラジオで「エンタの神様」批判をしていた伊集院に、エンタのプロデューサーが公開討論を申し出て、それを伊集院が断ったという話。


最近、伊集院の深夜ラジオはポッドキャストでしか聞いてないんだが、ポッドキャストでも言っていたもんね、エンタへの文句。
「なんだ!?」と思ってたら、そうか本編でも言ってたのか。


それにしてもエンタのPは何考えてんだァー? そんなのお笑い芸人が承知して受けて立つわけないじゃん。そっからしてもうなんか「ズレっぷり」が浮かび上がってきてイヤな気持ちになる。


もうひとつは、案外肝の小さい人でガッカリしたというのもある。もっとさ、芸人なんか使い捨てで、数字取れてんだから何が悪い、って開き直ってる人だと思ってた。
「数字」が正義なら、伊集院ごとき(「格」から言ったらそうなるだろう)が何を言ったって動じなければいいんですよ。
そういうヒール色が打ち出せるなら、お笑いファンだって「悪役」として長く記憶にとどめると思うよ。


私個人は、このエンタのプロデューサーの言ったり書いたりしたことをほとんど知らないんだが、もしかして本当に自分の主張が万民に通ると思っているのかな……?
たぶんそうなんだろうね。それだからこそがんばれるんだろうな。


テレビというのは、「演芸」なり「芝居」なり「音楽」なりを、テレビという「場」に乗せて、悪い言い方をすればいかに搾取するか、をひとつの命題にしてきた。
で、私は「エンタ」っていうのは「ネタ」を扱ったものとしてはタブーに触れてしまって、なおかつ数字を取っちゃったからすごい番組だとは思うんだよね。
私の考える「タブー」っていうのは、芸人はみんな「テレビに合わせる」っていうことにジレンマがあると思う。
だけれども、テレビに合わせないと売れないからテレビに合わせる。本人はどんなに言われたとおりにやりますと言っても、どうしても「お笑い芸人」として一定の教育を受けてきた人というのは、最後の最後の最後の瞬間にテレビと合わない部分が出てくるんだと、自分は思っている。


で、「エンタ」はその「最後の部分」を実にサクッと削っちゃったんだと思う。お笑いに親しんでない人しかできない残酷さで、それをやっている。
人生を切り売りしているような番組やそれに合わせる芸人はたくさんいるが、それはあくまでも「企画ありき」だった。
だけど、「エンタ」っていうのは当の企画が「ネタ見せ」であり、それならば芸人が主役であるはずなのに、何となく芸人が主役でないように見える。


簡単に言えばそれは「わかりやすさへの奉仕」ということなんだろうね。
それは、「ネタ」を真剣に見たい人ほど、嫌いますよ。


「エンタ」って、自分にとって「下品だな〜」と思っていた番組群(下品だから必ずしも悪いとは限らないが)、たとえば「ドッキリカメラ」だったり、「大家族のドキュメンタリー」であったり、電波少年であったりといったものに、どこか似ている。
それはどういうことかというと、まず「テレビありき」ですべて構築しているから、という部分はあるんだろうね。
徹底した人工感というか。
もうちょっと他とは比較にならないくらいの人工感というかね。


でなければ、アクセルホッパーとか、なんかあり得ないし。なんで「永井佑一郎」で出してあげないの、っていう。


でも、同時に「下品」とか「好きじゃない」っていう番組ほどテレビに影響を与えてきたというのはある。それは私が30年間テレビを見続けた実感としてあるから、どれが後世に影響を与えるか、といったら「リンカーン」でも「笑金」でもなく、「エンタ」ってことになるでしょう。


繰り返しになるけど、だったら製作者はふんぞり返って堂々としてればいいんですよ。
ああいう番組は数字や、大衆の支持が最大の正義なんだから、それにわざわざ「言葉」で何かをつけ加える必要なんて何もないはずでしょう。


ずっと前、手塚治虫文化賞において、何代目かの少年ジャンプの編集長が、自分ところの作品がノミネートされなかったことに対し審査員に「あんたら、病んでるよ」って言ったとか言わないとか聞いたけど、それと似たようなニュアンスなのかな。
売れてるものが、賞まで取る必要はない。だって「売れる」っていうことが勲章なんだもの。


それを、伊集院と対談して、ケンカになろうが、シャンシャンで馴れ合いになろうが、得るところなんて両者に何もないでしょ。
なんかこの話聞いてすごくイヤになった。


まあテリー伊藤もいろいろ問題あるかもしれないけどさ、あの人が「元気が出るテレビ」とかやってたときに、たとえば他の芸人が批判したからって、「じゃあ討論しましょう」なんて言うか?
たぶんコメント求められたら「こっちは数字取ってんだコノヤロー!!」ってテレビの画面に向かって叫ぶか、無視かのどっちかだったんじゃないの。
それは「大人の対応」というより、「勝者の余裕」というもんですよ。


勝者は余裕を持つべき。