のうぎょうじっしゅうせいの話

該当記事は、イヤすぎてほとんどナナメ読みしてしまいました。
まあいったいどういう田舎と都会の、あるいは農業とそれ以外の職業との格差でそうなったのかは真剣に考えてみる必要はあると思いますが(田舎だからこうなった、ってだけじゃなくてね)、
思うのはねえ、みんな「こういうの」がイヤだから都会に来たんですよ。
戦後、60年かけてみんな都会にやってきた。


そして都会はファスト風土化したんですよ(「ファスト風土」ってネーミングはダサいなあ。何とかならんのか?)。


だからひるがえって考えるのは、自分が何かぬくもりが欲しいと思ったときに、それは何なんだということだよね。
単に我々のじいさんやばあさんが「イヤだから」って捨ててきたものを安易に取り戻したいだけなのか。それを考え直したい、ということなんです。
そういう、過去の共同体回帰でもない、自尊心だけで一人で生きるというやせ我慢でもない、「第三の道」を模索しないといけないということですよ。都会人は(特に独身男性は。独身女性のことは知らん。自分が女じゃないから)。


都会の話になるけど、実際尋常じゃないくらい殺伐としてますよ。
だけど、それはもう30年、40年前から折り込み済みのことだったんだよねえ。


だから、仕切り直してうるおいを取り戻せるか、まったく新しい人間関係を取り結ぶことができるのか、というのが前向きな考え方、なのかな。


それと、上記のような制度がまかりとおっている背景には、「なあなあで通ってきた」という現実もあるはず。
要するにせまられてくっついちゃって妊娠したからまあ結婚しようみたいな、そういう人も何人かはいたんだろうし、それが都会/田舎かぎらずモラルとして存在しているということ。
ただし、「そういうのが絶対にイヤだ」という人もいる。
「そういうのが絶対にイヤ」という人は、そういう「なあなあ」地獄の現実についても考えなきゃならない。


さらにもうひとつ、「なあなあ」で通ってきたとすれば、それすらに亀裂が入るほど田舎と田舎以外で人間関係が断絶しているということも考えられる。
私は「なあなあ」を何でもかんでも害悪とは思っていない。むしろ、制度の問題というより明文化されない「雰囲気」、「空気」が保たれていたのに、それがいつの間にか保たれなくなる、そういう「空気」を、「なあなあ」で済ましている人々が読んでいかないといけないということ。
まあそれが面倒くさいから「なあなあ」になるという矛盾はあるんだけどね。