「退屈」ってのはこういうことを言うんだろうなー

http://www.zasshi.com/ZASSHI_SOKUHOU/data/flash.html

悪魔のアナライズ/小林麻耶アナ−女が堂々と嫌っていい女! 倉田真由美/TBS・小林麻耶 

「フラッシュ」の見出しより。
中身読んでないけど、今さら小林麻耶をまな板に乗せたってつまらんに決まってる。「内容読んでないのに何言ってんだ」って言われそうだから「小林麻耶を取り上げて何か文句を言う行為」そのものに対する退屈さについて、ということでよろしいでしょうか。


裕木奈江叩きのときには、まだ意味があったと思う。あるタイプの女性が別のタイプの女性(裕木奈江)が使う「手口」に関して、積極的に異議を唱えた、という意味でである。
別の言い方をすれば、松田聖子がデビュー時「ぶりっ子」と言われた、その「ぶりっ子」という単語に含まれるかわいげ、どこか許容できる部分をいっさい無視して、叩いた人は真っ向から叩いたのであった。


しかし、小林麻耶あたりになると「もうなんでもいいだろ」という気になる。裕木奈江の頃とは時代も変わった。小林麻耶は登場時からすでに相対化されつつ、同時にそういうキャラとして許容されている存在である。だから小林麻耶叩きにはどうしても「今さら」感がつきまとう。
自分にとっては、小林麻耶がかわいこぶるのも、くらたまがワイドショーなどで知的なことを言うのも、はっきり言って媚態の一形態でしかない。どこがどう違うのかサッパリわからない。これが田嶋陽子あたりが文句を言うならそれなりに筋も通っていると思うが、多少なりとも「女」を売り物にしているくらたまがなんでこんなこと言うのかな、と思う(もちろん、くらたまくらたまゆえに小林麻耶を叩くことに意味が生じている、くらいのことはわかっていますけどね)。