インターネットは人を孤独にしないという話

ネット幸福論 第五回


小心者の杖日記のムネカタさんの連載。
そうそう、ムネカタさんのところから「ふぬけ共和国」にリンクが張られて、すごく嬉しかったのを覚えている。
それと「OHP」と、「マンガ感想サイト更新時刻一覧」ね。
「マンガ感想サイト更新時刻一覧」は、確か私の方から勇気を出してメールして入れてもらった。


それともうひとつ、名前を忘れてしまったんだけど「オタク寄りサブカル」みたいなニュアンスのサイト(たとえば「悶えろ!!燃えプロゲッターズ」みたいなところ。このサイト、もうないんだね……)ばっかり集めたリンク集があって、そこにも勇気を出してメールして入れてもらった。


何というか、「リンク集」ってのは重みがあった気がする。それくらいしか面白いサイトを見つける術がネット上になかったし。


で、当たり前なんだがネット上で書かれ、「全体に公開」した文章は文字どおり全体に公開される。
自分は、膨大なテキストをネット上に書いてきたが、上の「勇気を出してメールした」につながっていく話なんだけど、
「読んでほしい人に『読んで』と言わなくてもいい」
っていうことが、インターネットがそれまでの文字文化、たとえば同人誌とかミニコミなどとは自分にとって違った点だった。


この間もヒトと話していて合意に達したのだが「こちらが憧れて、交流したいと思う人とはなかなか交流できない」という人間関係一般の法則がある気がする。
やはりこちらが憧れる人というのはいろんな意味で「レベルが上の人」であり、そういう人と交流したいと思えばこちらがある程度その人に認めてもらえなければどうしようもない。
で、自分の場合、自己アピールが極端にヘタということがあったので、「常にテキストが人目にさらされる」ことによって、本来なら読ませることすら恥ずかしい文章をどこかのだれか(そこには自分が憧れていた人も含まれる)が読んでくれて、始まった交流というのが少なくない。


逆に言えば、ネットのない状態でいかに自分が人づきあいがヘタかということになる。
たとえば自分がミニコミなどに文章を書いて、それを何らかのかたちで明らかに自分よりもレベルが上の人たちに送りつけることができたか? というと、ビビってちょっとできなかったからねえ。


この辺のことって、けっこう大事だよ。というようなことを思ったのだった。