XX エクスクロス 魔境伝説

話は変わるが、私は深作健太をネットでフォローし続けよう。
XX エクスクロス 魔境伝説」を観て心に誓った。
(でも実際会ってみて、自信満々だったりしたらそういう変な応援はすぐやめたくなるだろうなー。)

映画「XX エクスクロス 魔境伝説」について、「ふぬけ共和国blog」で書かなかったことを書いてみよう。


今、メガホンを取っている世代というのは、「ターザン」、ヤコペッティの「世界残酷物語」、あるいは70年代に映画化された横溝ものなどの「秘境」に対してフィクションの中で普通に接してきたのだろう。
たとえば堤幸彦の「トリック 劇場版」や「サイレン」にもそんな感じがうかがえる。


しかしである。自分が子供時代、青春時代に接してきた物語をもう一度、自分たちの手で再現させたい、と思うクリエーターは多いだろうが、この「秘境もの」だけはかなりむずかしいのである。怪獣映画やスプラッタホラー、カンフーものなどとその辺は意味合いがちょっと違う。


なぜなら、世界にはすでに「秘境」はなくなってしまったからである。ニコラス・ケイジが再映画化した方の「ウィッカーマン」が、奇怪な駄作に仕上がっているのも、その辺の処理がうまくできていないからだ。
「トリック」においては「秘境」は記号でしかない。「サイレン」に至っては、映画内の虚構にしても「秘境」の存在はかなり苦しかった。


本作「エクスクロス」でも、基本設定のありえなさはどうしようもないのだが、開き直り方が尋常ではないため、少なくとも「トリック」における秘境のような悪ふざけでもなく、「サイレン」のような苦しさもなく、ギリギリのところで「秘境」が、映画内の話だけなら定着しているように思えた。


たぶん深作健太には堤幸彦に見られるようなインテリっぽい照れがないぶん、小気味よく撮られているのだろう。


どういうパーソナリティの人かは知らないが、こういうジャンルだからこそ逆にサブカル的な人たちや、「おれの方が本気出せばうまく撮れる」とか言い出しかねない人たちの嫉妬を買う気がするが(少なくとも「恋空」を撮れるチャンスに比べたら)、
クダラナイ嫉妬心など歯牙にもかけず、がんばってもらいたいものだ。